昔話2 ちくわと納豆

ちちおやには「やりたいことがある」と啖呵を切ったが、その後は何もしていなかった

朝、両親が仕事に出かけ、弟達が学校に出かけて一人になってから、ゆっくりと起きて自転車で出かける。
当時、唯一、遊びに行く場所だった商店街まで30分かけて行き、中古ゲームショップと古本屋を巡り、何も買わずにブラブラする。
当然だ。
何もしていない身では定期的に入るお金なんて無い。無駄遣いは出来ない
そして昼過ぎには自宅に帰る
そして、一人でご飯を食べる。
内容は、茶碗一杯のご飯、おかずはちくわを1本に醤油か、納豆を一パック。たまにキムチやたくあんといった漬物
何もしていないのだから、準備をして貰えるだけ有り難い。
ちなみに私は、ちくわやカマボコといった練り物がかなりの好物である。それに納豆は家族では私しか食べない。
つまり、納豆やちくわというのは、私の好物を考えての母親の配慮なのだ。
しかも私は、どうも食に対して妙な偏りがあるらしく、毎日のように同じものを食べても平気なのである。





午後は部屋に引きこもっている。
原稿用紙を前にぼーっとしている。或いは、ケント紙や厚紙を切ったり貼ったりしている。
そしてコンピューターゲームをずっとやっていた


全く何も出来ていない。何もしていない。
そう言われても仕方の無い日常である

昔話 高校を卒業した春ニートになった

高校を卒業した春ニートになった
当時、何も考えていなかった私は、将来について何も考えていなかった。
就職氷河期と言われる「失われた10年」とか20年とか言われる時代である。
人と関わることがあまり好きでは無く、未来への希望と言えば1999年7月に恐怖の大王が振ってくることを望むような、今から考えても辛気くさい青春時代だった。
高校時代、将来のことをクラスメイトに聞かれて答えた内容を今でも覚えている
「華の独身貴族から中年ロリコンスケベ親父に堕落して、都会を彷徨って最期は野垂れ死ぬ」
全く何も考えていない

大学も受験してみたが申し訳程度に一校だけで、学力があるわけでも無く当然、落ちた

そして四月一日、部屋にいた時に父親から呼ばれた。
「これからどうするんだ」
何も答えられなかった。
当然である。何も考えていなかったのだから。
そこで父親は
「予備校の申し込みをして、もう一度どこかを受験しろ」
親心であろう。ただ、当時の私は、胸の中に感じる物があった。
「いやだ。やりたいことがある」
そう言って拒否した。
父親はすぐに答えずに少し私を見ていたが
「そうか、ならばそうすればいい」
と言った
これが、私の彷徨える人生の出発だった。


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